何故、毒親に子どもを会わせたくないのか

私は毒親である母に、私の子どもを会わせたくありません。先のブログにも書きました通り・・・

【1】会えば家族の愚痴、職場の愚痴、ご近所・同級生のその後等、聞きたくもないネガティブな話を延々と聞かされる

【2】毒親にされた様々な仕打ちがふつふつと思い出される

【3】子どもの前で、言わなくても良いネガティブな話をしそう

 

そしてこの他にも・・・

母は、他者に非常に批判的で決めつけの強い性格です。

私が未だ大学生だった頃、姉や私の同級生が結婚して妊娠しはじめる時期がありました。短大卒で結婚が早かった人、できちゃった婚をした人、色々な事情があったのだと見聞いていますが、各自の人生なので、他人がとやかく言うことではありません。

それなのに、母は、

「〇〇ちゃんは、できちゃった結婚して、〇〇ちゃんのお母さんは肩身が狭そうに歩いているわよ」

「〇〇ちゃんはおっきなお腹で歩いてたわよ。里帰りかしらね。〇〇ちゃんのお母さんはウキウキしていたけど、孫、孫って、みんなうるさいわ」

「みんな孫ができたら、孫、孫言ってうるさいわ、理解できない」

等、まるで子どもを授かったことを歓迎しないような口調で、さらに母と同世代の方が孫に夢中になる様子を批判しはじめました。

当時私はまだ学生で、恋愛自体がタブーな家庭だったため、妊娠も出産も想像だにできないことでしたが、ただ、もしも家庭を持つことがあっても、妊娠も出産も母とは関わらずに迎えたいなと、漠然と思いました。

 

そして、私が幸せな結婚を迎え、第1子を妊娠をした時・・・母に妊娠を告げるのが面倒でしょうがありませんでした。勿論、里帰りなんてさらさらする気はありませんでしたが。

妊娠中、母から状況や産後について細かく詮索が入りました。「お腹のおっきな姿にも会ってみたいな」というメールが入り、吐き気がしたことを記憶しています。

妊娠中の再会や産後すぐの訪問については、体調不良を理由に断りました。

それでも予定日が近付くと「まだか、まだか」という連絡が入り、結局最後は管理入院になってしまったのですが、なかなか産まれないことに「その病院大丈夫なの?」という批判までされ、産前の大きなストレスになりました。

幸せな家庭で育った夫の母(義理の母)は、非常に頼れる方で、実は産後数か月は平日毎日来ていただいていたのですが・・・そんなことを母に知られたら逆上されるので、

義母にも「色々とご協力いただいているにも関わらず申し訳ないのですが、母には言わないで欲しいのです」とお願いしていました。

全てを話したことはないですが、母との少ないやり取りの中で義母も何か感じることがあったのか、「わかった!」とだけ言って理解してくれました。

産後毎日、義母と過ごせた時間は、非常に貴重なものでした。子育てについて不安なことなど、実母に聞けないことも色々と相談にのってもらいました。

 

産後しばらく経ち、さすがに体調不良を理由には母の訪問を断れない時期に、母が訪ねてきました。

聞きたくもない近所の噂話や家族への不満等、夫や子どもの前でも話し出します。

また、子どもに向かって「あなたのお母さんはお腹を痛めてあなたを産んだのよ~」という話をし始めたので、それに対しては「そういうこと言うのやめてよ!産んだのはこっちの勝手なんだから」と制止してしまいました。子どもは言葉がしゃべれない赤ちゃんでしたし、よく聞く台詞ではありますが、母に言われたことを思い出し異常にムカつきました。

 

産後の再会では特に母に対しての怒りが強まり、精神的にもきつく、私は笑顔にはなれませんでした。

しばらく訪問をしないで欲しい、本気でそう思い、別れ際に母に「産前・産後に昔された色々なことを思い出して毎日苦しい思いをしている。反面教師にして子どもを育てる」と冷たく言い離しました。

すると、翌日から「あなたのトラウマを取り除いてあげたい。ゆっくり話が聞きたい」という連絡が入り、更にウンザリしました。

実は母に対峙したことはこれが初めてではなく、毒親であることに気付いた2ステップ目で、関連書籍を送りつけたことがありました。

その時に母は怒り狂い泣きながら「あんたは何か勘違いしてるんじゃないかい?!育ててやったお母さんの気持ち何にも分かってない」と電話越しに発狂していました。

こんなことがありましたので、母は、フライパンで娘の頭を殴ったことも、人格否定したことも、身体的特徴をバカにしてきたことも、何一つ覚えていないんだな、と既に分かっていたのです。

「今更話すことはない。もう時間は戻ってこないので、連絡しないで」とだけメールをして、それ以来母から「トラウマを取り除いてあげたい」というバカげた提案が入ることは無くなりました。

こんなことがありつつも・・・予測はできていましたが、その後の母の「孫フィーバー」は強まり、要らないものを送ってきたり、「動画を送れ」等の要請も増えてきて、母からの連絡が来る度に憂鬱になりました。

母が散々批判してきた「孫、孫、うるさい」人に、母自体がなっている。だったら最初から立場の違う他人を批判しなければいいのにと、呆れかえりました。

さらに、母は昔よく「パパ、ママって呼ぶのが気持ち悪い。〇〇ちゃんは、そんな風に呼んでて甘えて自立できない大人になる」というような意味不明の決めつけをしていました。

(実際にはうちの姉、お父さん、お母さんと呼んでましたがアラフォーにして自立できていませんが・・・汗。。)

なので余計に、夫と私のことは「パパ、ママ」と呼ばせることも決めていましたが、母が「この子におばあちゃんて呼ばれるの何か嫌だわ~。グランマって教えといて」とメールが着た時には携帯をへし折ろうとさえ思ってしまいましたが・・・

 

この他にも、昔からことある毎に言っていた母の決めつけが、私を傷つけました。

・「帝王切開はやっぱり良くない」・・・私、意図せず帝王切開になりました。そりゃ経腟分娩の方が産後の回復も早いし、癒着等のリスクもないよね、ということは当事者が一番分かってます

・「愛情もって育てるには子どもは完全母乳であるべき」・・・私は最初の1ヵ月は混合、その後完母へ移行しましたが、母乳が出なかったり、母体の健康状態であったりで、希望があっても完母にできないお母さんもたくさんいると思います。私自身も最初は子どもが保育器に入り入院も長引き、哺入力も弱い赤ちゃんだったので粉ミルクが無いと育てられない状況でした。

 

産後やっぱりか!という勢いで母乳の出を聞いてきたので、自信を持って「混合で育ててる」言ってやりましたけど・・・

娘が自分の意に反しない育児にしょっぱなからぶち当たり、毒母はどう思ったことか・・・

自論の展開は結構なのですが、それが批判的であればあるほど、 知らず知らずのうちに周囲を傷付けてしまうことがあるんだ・・・

私自身もそのようなことがあったかもしれない、反省するとともに、子どもには極端に特定の人を批判するような思想を植え付けたくはないなと、改めて思うのでした。

ちなみに、母乳を飲ませているところは絶対に見せたくなくて、母の訪問時も別部屋に行きました。

自分が母になっているところ見られることに嫌悪感があるというのと、昔から何度も胸の小ささをバカにされてきたので(それでいて成長を見たがってくる)、嫌だったんですよね。

 

第二子を妊娠した時、義理両親にはすぐに連絡を入れましたが、両親に連絡することがまた億劫で仕方がなくなりました。妊娠を知らせるとまた様々な詮索が入り面倒になると思ったのです。

結果、二人目の妊娠は妊娠7カ月を過ぎた頃に伝えましたが、具体的な予定日や、産休開始日については言及しませんでした。伝えればまた、様々な詮索が入り、産休に入り日中に電話等がかかってくると、ストレスになると感じたからです。

そしてある日、恐れていたメールは入りました。

内容は「職場の人が、時々娘のお産扱いで休みますという話を聞くと、ちょっと経験してみたい気持ちになる。呼ばれればすぐに行きますので連絡ください」というもの。

虫唾が走りました。。。私は母からメールがくるだけでストレスになっているのに、手伝いに来るだなんて、どの神経で言えるんだと呆れました。

少し日にちをおいて返事をしましたが、「産前産後はイライラしやすいので、連絡や訪問は避けてください」と冷たく返事をしました。予定日や産休開始日への質問もありましたが、それには敢えて触れませんでした。

そして、それから数日間は私、昔の色々なことを思い出して夜中起きてしまったりで、ちょっとした不眠になっています。。。。

いい加減、娘の気持ちを察して欲しい。「それでも母親だから子どもを見捨てない」とでも思っていそうだけど、その気持ち自体が自己満足であることにも、早く気付いてください・・・

 

世の中、不幸になって欲しい人なんていないけれど、私に見えない知らない遠い場所で勝手に幸せに生きていて欲しい、そう願ってしまうことってありませんか?

私は、その相手が実母なんですよね。。。。