時間は返って来ない ~進路~
毒親に浸食された時間は二度と返って来ません。
色々と精神的・肉体的に辛い思い出はありましたが、
その中でも習い事を制限され、進路を否定され、結局親の思う道へ進んだことに関しては、
未だに怒りが湧き出てくることすらあります。
子どもには希望の進路を歩ませてあげたい!
子どもが興味を持ったことを伸ばせるような環境にしてあげたい!
ネットでヒットする適当な子育てコラムでも、よく言われているようなことですが、
でもこれって、すごく重要なことですよね。
私、先ずは行動を・・・と思い、子どものためにコツコツ貯蓄してきました。お陰様で、高校・大学卒業までは希望校が私立でもなんとかなりそうなところまで無事貯蓄できました。
(留学したい!となることも加味すると、まだまだ備えるべきとは思いますが・・・)
私自信は、習い事を強制されました。
母はピアノを弾くことができないのがコンプレックスだったらしく、子ども達にピアノを強制的に習わせました。その上、家庭の生活レベルにも子どもの実力にも見合わないような、大きなグランドピアノを購入しました。
私はピアノもピアノの練習も大嫌いでした。練習をろくにしないものですから当然上達することもなく、真面目に練習してみるみる上達していく姉と比較されました。
時には母に激怒されながら練習しましたが、その度に「月謝がもったいない!」と怒鳴られました。
月謝はもったいないままでしたが、母の見栄と母のコンプレックスの解消のために、私は高校に入るくらいまでだらだらとピアノを続けました。
(私は、本当は絵を描くのが大好きだったのですが・・・。)
母は学校の父母会や同級生の親等には、「うちの子達には家庭学習なんてさせません。学校で覚えてくればいいことですから」と得意気に語っていましたが、
実際にはテストで悪い点数を取って帰ると激昂されました。
姉は所謂優等生タイプでしたが、私は赤点だらけの成績でしたから、理解ができていなと母にフライパンで殴られたりもしました。
小学校高学年~中学生くらいになると私の成績はそこそこ、姉は地域で最も偏差値の高い高校に合格しましたが、私は地元の冴えない進学校に入学しました。
高校に入ると、数理系の授業が楽しく、高校の全体的なレベルが低かったこともあり、私は成績トップに躍り出ました。数理系の大学への進学にも興味が湧いてきました。
ただ、受験の足音が近付いてくると、自分が本当にやりたいのは「絵を描くことだ」と思い、美大への進路変更を希望し始めました。これしかない!と思い母に伝えると・・・
「そうやって勉強から逃げるな!」と怒り狂われました。。。
(母は決してレベルの高い大学は出ていませんでしたが、それを「親にどんどん志望校レベルを落とされた」せいにしていて、それを自分の子どもにはさせたくないとも言っていましたが・・)
母は、姉が国立大学に入ったことを誇りに思っていて、私にも同じ大学に入ることを暗に指し示していました。
また、美大に合格するためには予備校に通う必要があったことと、自宅から通える範囲内に美大が無かったことから、受験や学生生活を送るために私に支出することは、家計的にも厳しかったのだと思います。
ただ、おかしな話で、その後姉が国家資格を取りたいと言い出した際には、何年間も予備校にも通わせてるんですよね・・(10年近く受験するも結局不合格でしたが)。
結局、毒親の見栄や満足を満たすための支出には協力的ということです。
また、後で思ったことですが、子どもを希望の進路にすすめさせられない程に家計がひっ迫しているならば、グランドピアノを買わず、無駄な月謝を支払わず、その分を貯蓄しておいて欲しかった・・・そう思うのです。
高校生の時、私には美大に行くという選択がどうすれば叶うのか、相談できる人も情報も術もなく、泣く泣く諦めました。
その後、勉強へのやる気も無くなり、当然理数系学科に入りたいという希望も無くなり、母の希望する国立大学の何の興味も無い学部に入りました。
母は鼻高々でした。時には昔の話を蒸し返して「絵なんていつだっけ描けるけど、勉強は今しか集中してできないんだから」「本当に絵が描きたかったら社会人入学すればいい」と言いました。
確かに、絵はいつでも描けるのかもしれない・・・その頃はそう思っていました。
私は大学卒業後、東証一部上場の企業で、比較的デザインにも近い仕事に就くことができました。
母は、娘が有名企業に勤めていることに鼻高々でしたが、一方で私は今まで自分が出会って来なかった美大出身者に出会うことが多くなり、美大への憧れや後悔が強くなっていきました。
美大出身者の就職は難しいと卒業生は言っていました。私が美大に通っていたら、今の職場には居なかったかもしれません。
ただ、「学生時代にしか経験できない人達に出会い、その時期に創作活動をすること」こそ美大に行く意義だったのであり、「絵はいつでも描ける」こととは別物。そうか、私の青春時代は二度と戻って来ないんだ・・・そう実感し、涙が止まりませんでした。
そんなある日、母から誕生日プレゼントが届き、中を開けると、水彩絵の具のセットでした。そこには手紙が添えられていて、「あんたには、ずっと絵を描いていて欲しいから」とありました。
は・・・???!
散々進路を否定しておいて、今更こやつは何を言ってくるのだろう。。。
私には、母が自分の手紙や、その行動に酔っているようにしか見えませんでした。
その後も、「最近絵は描いてるの?」とか「あんたには独自のセンスがあるから続けてね」とか、余計なお世話を焼いてきました。
社会人になってからは油彩の教室に通ったりしたこともありましたが、
母からの絵に関する立て続けの連絡が続いた後、私は一切絵を描かなくなりました。「一生描くこと」が母の指し示すレールを歩くように思えて、嫌になったのです。
最後に「最近絵は描いているの?」の問いかけには「別に、才能も無いし無駄だから描いてないよ」と素っ気なく答えた記憶があります。
もしも本当に才能があり、やりたいことだったら、母に何を言われようと、未だに絵を描くことを続けていたのかもしれません。もしも美大に通っていても、才能が無いことに気付き、絵を描くことを止めていたのかもしれません。
それでも強く悔しく思うのは、「美大に行けなかったこと」であり、それと同時に、美大に行っていたら開けていた道があったかもしれないということなのです。これは同時に、もしも美大に行っていたら、自分の進路選択が誤りであったと思うことはあったとしても、親のせいにすることは無かったでしょう。
そうじゃなかったら今頃どうなっていたか?を想像することは全く以て非現実です。人生1回きり、やり直しはききません。
進路は本人の希望で進むべきということが、本当に大事です。
ご飯は楽しく美味しくね♪
家庭を持ち、夫と子どもと生活するようになり、家族での食事の時間の大切さをしみじみ感じています。
かくいう私にとって、家庭での食事は恐怖の時間そのものでした。。。
食事の途中で父に大声で罵倒され、殴られ、泣くとさらに「その顔はなんだ!」と言われるので、部屋に逃げ込むと、「食事中に席を立つとはなんだ!」と怒られ、また連れ出されてまた罵倒され・・・逃げ場のない状況でした。
母は父が正しいと言い、逃げ込んだ部屋から食卓へ戻す時にこそ優しい言葉をかけてきますが、決して毎日の父からの暴力を止めることはしませんでした。
また、矛先が私に向かっていない時には、両親がくだらないことで大喧嘩していました。
こんな日常が、物心がついた時から、高校卒業くらいまでは、毎日続いていました。
食事自体も全然美味しく無かったですが、それ以上に息苦しい空間でしかありませんでした。
私が怒られる内容といえば、いつも決まっていて
・箸の持ち方が悪い
・ご飯の食べ方が汚い
・ご飯とおかずとの食べ進め方が汚い
・姿勢が悪い
等でした。
今はマナーの大切さを知り、どれも気を付けていることですが、ただ、幼少期にしっかりこれらを躾けられた記憶はなく、幼児の時期を過ぎた頃より、ただただ同じことで怒られ、殴られたことだけは記憶しています。
両親の喧嘩のネタもだいたいは決まっていて、
・食事の味付けが悪くて父の機嫌が悪くなる
・母が近所の噂話やくだらない決めつけをし、父がキレる
・母が父のことをバカにした発言をして、父がキレる
等々。
(大人になり、どちらかというと父寄りの考えになってきた今、父の気持ちは少し分かる気がします。。。)
私はかつて肥満気味で(食生活の影響も多分にあるはず)、成長期に十分身長を伸ばすことができませんでした。今振り返ると、こんな食生活で十分に成長ホルモンも分泌されないのでは?!とさえ思ってしまうのです。
さて、結婚して目から鱗!だったことは、夫の食事に対する考え方。
・食事中は家族で会話を楽しむ時間なのでTVはつけない
・美味しい食事を作って、温かいうちに食べよう
・マナーも大事だけど、それよりも美味しく食べることが大事
実家では、日中も食事中も、家族がリビングに集まる時にはTVはフル稼働。。
家族での会話なんてありませんし、何か物音がないと心が落ち着きません。
ところがどうでしょう!今は食事中にTVをつけないのが当たり前で、TVがなくてもとっても和やかで温かい空気が流れているという不思議!!
また、夫がご飯の食べ方が早食いでちょっと汚くて、注意してしまったことがあります(子どもが産まれてからは多少注意している様子)。
そうすると、「美味しいご飯は冷めないうちに食べよう!美味しく食べることが大事なんだから嫌な顔をしないで!」と言われました。
確かにそうなんですよね。まずは楽しく!そして最低限のマナーということでいいのかな?そう思いました。
今は子どもも注意をすれば分かる年齢になり、マナーが悪い時には食事中に、その場で注意するようにしています。でも気を付けているのは、感情的にならずに繰り返し優しく注意して、直ったら必ず笑顔で褒めてあげること。
大人になり気付きましたが、仕事をはじめ大人の世界では会食の機会ってとっても多く、その時にマナーが悪い人を見ると「あれ・・・」て思ってしまいますよね。
でも、ある程度生活態度が出来上がってしまってから言われても、直すのは本当に本当に大変なんです。。。。
家では多少気が抜けててもいいのかな?と思いますが、外の顔をきちんと持てれば、それでいい気もするのです。
子どもを連れてたまに素敵なレストラン等に行くと、子どもなりにきちんとマナーを守ろうとして頑張っている姿を見かけるので、今はこれでいいのかな?と思っています。
小さいお手てで、お箸も上手に持つんですよ♪(そして、褒められることを見つけてはどんどん褒める!)
ご飯は楽しく食べて、しっかり子どもの成長を見守っていければいいなと思います。
決めつけが激しく批判したい毒親① 嫁ぎ先を批判
毒親は、取り敢えず批判が日常で、他人や他のご家庭をとやかく言う。
毒親の中に揺るぎない絶対的なメソッドがあり、それを他人にも押し付け、
そのメソッドに反する生き方には超絶な批判をする。
勿論、自分の子育てには見向きもしないで・・・。
先のブログにも述べてきた通り、忘れられない批判は沢山あります。
・彼氏と歩いている私の同級生をアバズレと批判
・オシャレしている年頃の同級生をアバズレと批判
・ブランド物のバッグを持ち歩いていた同級生(社会人)を宝の持ち腐れと批判
・孫フィーバーになっている同級生の親を批判
等々・・・。
そんな中でも、私の人生における節目ではじまった批判は、忘れがたきものがございます。
私の夫は、愛情溢れるとても素敵なご家庭で育ち、兄弟がみんな仲良く、反抗期など無かったそうです。
毒親に、嫁ぎ先がどんなご家庭なのかを聞かれたので、何気なくこれを話したところ・・・
「反抗期が無く過ごすなんて絶対におかしい!そういう男はいつか爆発して、DVになる!!!」
と言われました。
は・・・?????
勿論、そういう人もいるでしょう。でも、それはあなたのような毒親にいつも心を押さえつけられて、自分の感情を殺しながら生きてきて、反抗もできなかった・・・。
そのような家庭で育ち、いつか感情を爆発させてしまうということも、容易く想像はできるでしょう。
でも、義理両親は決してあなた達のような毒親ではありません。
そもそも家庭のベースが違うのです。
お付き合いして10年、結婚して8年を過ぎていますが、夫はとても優しく、暴力をふるわれたことなんてありません。
いつも激しい決めつけに辟易してしまいます。。。
グランド毒親(祖母)の自殺について
グランド毒親(祖母)の話は未だ続きます。。
祖母は私が小学生に上がる前に、突然亡くなりました。未だ50代中~後半と早い晩年でした。
お葬式のことはしっかり覚えていますが、当時は死因等を聞かされることもなく、癌か何かかなと思っていました。
母に、「そういえばおばあちゃんは何故亡くなったの?」等と素朴な質問を投げかけると、「知ってるくせにそういうこと言うな!」「二度と言うな!」と言ってヒステリックにキレられたことを記憶しています。
そして、大学生のある日です。
突然母に、「あんたには正直に話しておくね」と言われ、祖母の死因について聞かされました。
祖母は亡くなる数年前から、軽い鬱症状があったそうで、虐待を繰り返していた母に対して突然電話がかかってきて、弱音を吐くことが増えていたそうです。
そしてある日、母の実家の庭にある井戸に飛び込み、自殺をしたそうです。
お葬式が終わったある日、幼い私が母に、「おばあちゃんは『暗くて深いところにいくんだよ』て私に言ってたんだよ。暗いところに行っちゃったの?」と聞いたそうです。さすがグランド毒親、孫に言わなくてよい自殺の予言を、していたということです。
これを聞き、母は二重のショックがあったそうです。実母の自殺と、実母が自分の弱音を吐く道具のために子どもを使ったということに・・・。
母には、「あんたがこのことで深い傷を負っていたらどうしようと思って・・・ずっと悩んでいた」と言われました。
ええ~?!ちょっと待って!ちょっと待ってよ!!!
私、全然覚えてませんから!!!だいたい、覚えていたら「おばあちゃんは何故亡くなったの?」なんて聞きませんから。。
今更聞いてもしょうがない話を、母の心の傷を癒すための道具として、私は2世代にわたり利用されたということです。
ろくな祖母ではなかったということは幼少期からの刷り込みにより知っていましたから、自殺自体は特に驚くべきことではありませんでした。極端な話かもしれませんが、日本の自殺率をみえば、親戚を辿っていけば一人ぐらい自殺している人がいたっておかしくないですよね。私の場合は、たまたまそれが祖母であったというだけのことです。
それ以降、ますます面倒になったことがあります。
母は、ことある毎に、祖母の死因について人に話してないだろうね?と責めてくるようになったのです。
結婚の際にも勝手な妄想により責められました。
私の考えとしては、祖母が自殺していることが分かった時点で結婚破断になるような人とは、そもそも結婚したくないですし、事実、そんな小さなことで嫁を判断するような相手方のご両親・夫ではありません。
祖母の死因についても、何かの折に夫には話したかも?(記憶は朧気)とは思いますが、義理ご両親へは話したことはありません。これから作るべき前向きな家庭がある中、自分の過去の不幸話や祖母にまで遡った不幸エピソードを義理両親に語ることって、そうそうないですよね・・・。
それなのに母からは「義理の両親にはおばあちゃんの自殺のことは話してないだろうね??!!」という責めが入り、もうウンザリです。。。
そもそも、語らなくて良い自分語りを、自分の不幸を認めて欲しい、励まして欲しい、分かって欲しいという目的で勝手にしてきて、
また、それを「人様に言いふらしてないでしょうね??!!怒」と責めたててくる・・・。
人間の記憶って、そう簡単には消せないのですよ。それは本人が一番分かっているだろうに。
「言葉は時に重みを持つこと」そして「他人を傷つけた記憶は簡単には消せないこと」今一度、私自信にも言い聞かせて参りたいと思います。。。
祖母(グランド毒親)に育てられた母の歪んだ愛情
毒親を育てたグランド毒親(私の祖母)は、母を歪ませた大きな存在力を持っていることは確かです。
母が祖母より受けていた虐待の話を、幼き頃より聞かされ続けていました。
その内容というのが・・・
・毎日チェーンソーを持って追いかけられた
・髪の毛を持って引きずられた
身体的な暴力であったり・・・
・歌が下手だと嘲笑われた
・「お乳をやるのが嫌で、鉄瓶でミルクを与えてやった」と言われた
言葉の暴力であったり・・・
兄だけ可愛がられて育ち、自分には愛情を注いでもらえなかったとも聞いています。
そして、周囲の目を気にした祖母により、大学も希望の進路に進ませてもらえなかったそうです。
でも、比較的裕福な家庭であったそうで、高校からは親元を離れて寮生活を送ったり、
衣服や持ち物等、周囲から羨望の目で見られる程に上等なものを与えられて育ったと聞いています。
母は祖母のことを非常に憎んでいて「絶対に自分の子どもには同じ思いをさせない」と思ったそうです。この言葉も幼少期より何度も聞かされて育ちました。
ただ、ただね、同じ出来事ではなくても、似たような心の傷を負い、あなたの娘も育っていますよ???それに、毒親は気付けていないのですよね。
出産後、母を避けるようになってからは母もそれなりに悩んでいるかもしれません。
でも、心奥底には「自分は母とは違う!」「せっかく愛情もお金もかけて、自身の心の傷を乗り越えて育ててやったのに、娘は何にも分かっていない!」そういうのがあるのが、見え隠れするんですよね。
私だって、毎日のように拳で頭を殴られ、平手うちされ、そしてフライパンで思いきり頭を殴られ、外に出されましたよ?
1つ失敗をすると、ヒステリックになり、過去の失敗にまで遡り、延々と怒鳴られ、叱られましたよ??
身体的なこと、ちょっとした失敗を汚い言葉で嘲笑い、近所の人や同級生の親の前でも笑いのネタにされましたよ???
大学だって、希望の進路に進ませてもらえず、結果母の望む大学に入りましたよ????
これの、どこが違うというのでしょう。
祖母からされたことを子どもにはしまいと、心に決めていたようですが、それも方向性がズレていた気がします。
・無駄な母乳信仰・・・「鉄瓶でミルク飲ませてやった」と言われたことが心の傷だったようで、子どもは絶対に母乳で育てると決めていたらしいです。それはそれで勝手ですが、母は人工乳を全否定するのですよね・・。母親の愛情というのは、母乳や人工乳では図ることはできないと思います。人工乳で育った子どもでも、正しい愛情を受けて幸せに生きている子はたくさんいますよね。
・子どもは平等に育てているという自負・・・私は3人兄弟ですが、母は「3人を平等に育てた」と自信たっぷりに言います。そして、ご近所でお兄ちゃんだけ可愛がられている家庭を強く非難したりもします。でもね、私は兄弟が皆平等に育ったなんて1mmも感じたことはないです。これは、どんな素晴らしい親であっても不可能だと思います。
兄弟であれば使い回せるものは下の子に回すだろうし、親の子育て慣れだって1人目・2人目で違うし、親の所得だって上の子が産まれた時と下の子が産まれた時だって違うでしょう。当然周囲を取り巻く時代・環境だって変化しているんです。
私の家では、姉だけが勉強机を買ってもらえていたし、中学生からは姉だけがずっと1人部屋でした(私は大学受験の時に、当時小学生の妹との相部屋・・・)。妹は父に溺愛されてたくさん玩具を買ってもらっていたし、これのどこが平等なのか?!と。
兄弟を平等に育てることは難しいと感じているので、平等に育たなかったこと自体への不満というのは(当時は勿論強い気持ちとしてありましたが)今となり恨みの気持ちはありません。
自信たっぷりに「平等に育てた」と言い切り、そして他の家庭を非難してしまう、その思考回路にこそ問題があると思うのですよね。
・「子どもに上質な服や持ち物を与えることが愛情ではない」という思い込み・・・母は周囲が羨む洋服や持ち物を身にまとっていても、全然幸せではなかったと言います。勿論、可愛い洋服を着せられていても、家庭内で虐待を受けていれば、それは子どもにとって幸せとは言えないでしょう。それは理解できます。
でもね、それと、自分の子どもに服を買ってやらないのは別の話です!!!
十分に服を与えられて育たなくてもその生活に満足し、親が大好きな子どももいるでしょう。一方で、周囲のようにおしゃれをしたいと思う子どもだっているのです。
安くおしゃれをさせてもらう方法、おしゃれの費用を捻出する方法なんて、今思えばいくらでも思いつきます。優秀だった姉の学費のために子どもの洋服代という無駄なものを切り詰めていたのも分かりますが、それにしては我が家の食卓は、出来合いのお惣菜やレトルト、冷凍食品だらけでした・・・。冷蔵庫には常にチルドのピザがあり、カップラーメンはカートン買いしているような家庭でした(※ちなみに毒親は当時専業主婦です)。
自活するようになり分かりましたが、食費を抑えるのって結構簡単ですよね。生鮮食品と定番の調味料だけで、美味しくて何より健康的なご飯が作れちゃうんですから・・・。
「子どもにおしゃれをさせることが愛情ではない」のは分かりますが、思春期の子どもの気持ちに寄り添うという思考は、母には全くありませんでした。
そして母は、おしゃれすることを認められた私の同級生を見て、こう言うのです。
「〇〇ちゃんが、アバズレみたいな恰好して歩いててだらしない!」と。
私は、その〇〇ちゃんのオシャレに憧れるとともに、娘のオシャレを認めてくれるご両親が心から羨ましいと思っていたのですが・・・。
グランド毒親の毒は、形を変えてしっかりと、孫に引き継がれていたというわけです笑。
そもそも、母のわだかまりの捌け口として、グランド毒親にされたことをとつとつと聞かされること自体が、幼少期の精神衛生に良い影響があるとは考えにくいですが・・・。
毒親を許すべきか
「毒親を許すべきか?」
毒親を持つ多くの人が自分の良心との葛藤に悩むことではないでしょうか?
これに対して「許さなくてよい」がズバリ、私の意見です。
良心としては、
・とはいえ楽しい時間も年数回はあったじゃないか
・希望ではなくとも、生活費も学費も出してもらえた
・最低限の生活を送らせてもらえた
というのが、両親が「毒親」であることに気付き始めた当初は、確かにありました。
ただ、自分が子どもの親になってみて分かったのは、
子どもを産んで育てるという意思を持ったのは両親の選択であり、
無防備で産まれてくる子どもに対して、必要最低限以上の生活、学び、楽しみを、無償の愛とともに与えるのは、子を持つ両親の義務に他ならないということです。
子どもを持ちはじめて、毒親に「食べさせてやってる」「学費出してやってる」「お腹を痛めて産んだんだ」と恩着せがましく感謝を要請されてきたことに、違和感を感じることができました。
また、私の良心を苦しめてきたのは、母の暴力・暴言を伴うヒステリックの後に囁かれる、甘い言葉にもありました。
母は一連のヒステリックの後に必ず
・「あんたはやればできる子なんだから」
・「大切な娘なんだから」
と言ってクールダウンしました。だいたいこの言葉が出てくると、ヒステリックタイムが終了という流れだったのですが・・・。
世の中の子どもは皆、お母さんに愛されていたい、そう信じてますよね。
私も勿論その中の1人だったに違いなく、この言葉を信じたい・・・そう思っていたのだと思います。
ただ、ただ、ただ・・・・
一連の暴力の後に優しい言葉をかける→その優しい言葉を信じる・・・て、
今思えば、DVと一緒じゃないか~!!!!
そして、暴力暴言の後のこの優しい言葉よりも、今現在までの私を苦しめてきたのは、
確実に、ヒステリックな母の暴力と暴言です・・・。
自己肯定感が薄く、「やればできる子」だなんて、自分に対して微塵も思えません。。
例えどんなに毒親が反省したとしても、過去の時間は巻き戻せないんです。
だから、「許す必要はない!!!!」
(毒親は、勿論自分の行いに気付てもいませんが・・・苦笑)
毒親育ち~ 自分の外見に自信をもてない
毒親に育てられて、自分の内面にも外見にも自信が持てません。
特に外見については、正直無駄な出費も多く、でもどんなに費用をかけても所詮見た目に自信を持つことにはつながらないことに、最近気づき始めております。。
外見に自信が無いことが、毒親の影響ではないかと思い始めたのはつい最近のことです。
具体的には
・日常的に「目が離れている」と言われ、定規で母と私の両目距離間を計測されたことがあった。目が離れているということでキティちゃんと言われていた
・幼少期、お姫様に憧れること、誰でもありますよね。全否定されて、ブリッコだと言われた
・幼少期、運動嫌いな母に十分な運動をさせてもらえず、また、今振り返ると食生活が本当に乱れていたこともあり小太りだった。体型をバカにされ、「ホッテントットみたいだ」と笑われていた
・父似で毛深いと言われていた
・思春期、嫌がっているのに、顔のニキビを無理やりつぶされた
・思春期、オシャレしたい!ていう時に洋服が欲しいとお願いしても、「近所の〇〇みたいに男の尻追っかけるようなアバズレみたいな恰好するな」「誰が学費払ってやってると思うんだ」と言われ買ってもらえず
・思春期「ペチャパイ」と言ってバカにされた。それでいて定期的に裸を見たかるのがすごく嫌だった。ちばみに毒親自身はD~Eカップあるようですが・・・
最近これらのことを思い出し、そういえば「ホッテントット」て何だったんだろうと思い検索してみたら驚愕・・・私だったら、こんなひどいことを、子どもには言えません。
ニキビも一時期はつぶすことが癖になってしまいましたが、現代の美容の常識=ニキビはつぶさない!ですよね。。。間違っていることを強行的にさせられて、それが癖になり、未だにニキビ痕がたくさんあります。これについては自己責任だとは思っていますが。
ちなみに、姉はアラフォー目前にも関わらず、暇さえあれば鏡を見てニキビを潰す生活から抜け出せず、未だに顔中傷だらけ。。30代半ばまで無職のニートだったのは、国家資格に落ち続けていたのですが(結局受からず)、試験勉強中も部屋にいる姉が鏡に夢中な姿を見て、妹として応援する気持ちを、「こりゃ受からんな」という気持ちが上回ってしまっていたのも事実です。。。いまだに、ニキビをいじり過ぎて傷が深くなり、顔に絆創膏を貼っている姿を見ると、こちらも萎えます。。
さて、私が最近自制しなくては・・・と思っているのは
※8割は自己責任の結果です!!!
・厚化粧・・・自分の欠点を隠すために、大学生以降は常に厚塗りです。。ナチュラルメークが流行っているし、このままいくと化け物になりかねない・・・
・スキンケア・・・ニキビいじり過ぎた過去と、自己責任ですが20代の適当なスキンケアが祟り、肌年齢が高めな気がしています。。美顔器やスキンケアクリームなど、次々に試してしまい浪費を・・・この分子ども達を楽しませることに、学費とは別に貯蓄を考えたい・・・
・ダイエット・・・バカにされてきた「臀部」「太もも」。やっぱり自分だとかなり気になります。。色々なダイエットを試すのも効果は得られず、でもやっぱりコンプレックス・・・
・無駄な服代・・・思春期におしゃれさせてもらえなかった私。体型コンプレックスもあり、未だに何を着ればよいのかわかりません。さらに、ダサい私服をバカにされた過去から、シーズンか切り替わる前に急いで服を買い替えないと・・と焦ってしまうのですが、外見に自信がないのでお店で試着するのは苦手・・・そして気軽なネットショッピングで適当な服を買って、失敗しています(というか、何を着ても「私」が着るだけでオシャレにはならない)。似合ってなくても、無駄な出費を無くすためには≪定番≫が無難だな・・・と思いどんどんオバサン化しています・・・
・猫背・・・胸の小ささ及び、成長具合を知られるのがすごく嫌で、思春期を迎えることからものすごい猫背になりました。この猫背が原因で父がイライラして、よく殴られたりもしましたが・・・姿勢は今すぐにでも注意できること!なので、これからも気を付けます!!!
最近は、母と同じ部分にある顔にあるホクロ(調べたところホクロは遺伝しないそうだが、母は遺伝だと信じて疑わない)を、皮膚科でレーザー除去したい願望が出てきました。位置的に微妙ということではなく、母と同じ場所にあるということが許せないのです。
ただ、費用もかかるし、若干のケロイド体質もあるので、万が一手術に失敗して後遺症になった方が精神的にやられそうだな・・・と思い、無駄な不幸せを自ら作り出すのはやめようと思い、こちらは断念。
子どもには同じ思いをさせたくないので、勿論、反面教師にしています!!!
・心からの「可愛い!」を伝え、優しくハグします
・子どもは幼児期を迎え、お洋服の好みも出てきたので、できるだけ好みに沿えるよう(予算の範囲で)希望をかなえます
・お肌がツルツルになるように、全身の保湿ケアを欠かしません
自分の外見の欠点は他人からは本当にどうでもいいことだとは、結構昔から気付いてました。でも、自分の中で許せない自分がいます。。
そして、親からの愛情たっぷりで、(外見に関わらず)自分に自信を持ちキラキラ生きている人もたくさん見てきました。
子どもはどうか、内面から自信溢れて生きていけるようになりますように、
サポートしていけると幸いです。